夢であってと、願う。

 抱えた腕の痛みが、いやにリアルで。かすれた息が近すぎて。細めた目が、やわらかに見つめていた。
「……」
 名前を、呼ばれた。震える腕がのびてきて、頬に触れた。そこで彼は、自分が涙を流していることを、知った。
「男が、涙見せるんじゃ……ないよ」
 ふふ、と。彼女は笑って。
 そのまま、目を閉じた。
 そして。
 そのまま、動かなかった。

 駅で見知った後姿を見つけて。依沙は小走りに近づいた。
「おはよ、サイゾー」
 ぽん、と腕を叩く。
「!」
 はっとしたように、宰蔵が身を引いた。
「? どしたの」
 きょとんと、依沙は小首をかしげた。いつもうるさい位に元気で、笑顔で冗談を飛ばすのだが。今日に限って、彼は神妙な顔をしていた。
「なんか、調子狂うんだけど」
  困ったように依沙がバシバシ宰蔵の背中を叩く。乱暴なことをしても、さらりとかわされるのが常だ。
 が。
「わっ」

 突然、宰蔵は依沙を抱きしめた。
「ちょ、サイゾー。何してんの!」
 驚いた依沙がじたばたするが、宰蔵は腕の力を強めるだけだった。抱きすくめられ、身動きができず。依沙はふう、とため息をつく。
 実を言うと、物凄く恥ずかしい。駅だ。人通りはそりゃもう多い。ちらちら見る暇人だっている。

「あーもう。どしたの、サイゾー」
 呆れたように。諦めたように。依沙が宥めるように、言った。

「依沙」
「うん。何?」
 今更、幼馴染の突飛な行動をどう言ったところで、無駄な足掻きだ。とことん付き合うしかないだろう。そういう点で、依沙は腹を括る思い切りが良い。

 ――夢だ。
 アレは。
 全部、夢の出来事。
 じゃなかったら。
 宰蔵は、依沙の肩に顔をうずめ、ぽつりと、呟いた。

「……なんでもない」

(初出:2008頃?)

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