刀護

 すらりと抜かれた刃に、彼女は目を細めた。
 そんな彼女の反応は気にも留めず、刀護(かたなもり)は鞘を無造作に腰紐へ押し込み、刀を右手に握った。
 とはいえ、構えるでもなく腕はだらりと下げたままだ。
「……あー、ったく」
 がしがしとあいている手で頭をかき、刀護は緊張感のない声を息と共に吐き出した。
「かったりぃ」
 惜しみなく本音をぶちまけ、刀護は欠伸をする。彼にとって、目の前にいる彼女の存在などたいした意味のない――興味の対象ではないようで。
 ふわ、と。
 彼女の口が動く。
 ゆっくりとだが、確実に。
 言葉は音にはならず。なれど、声ではある。
 刀護をからめ捕るようにまとわりつく。包み込むかのごとく。
 ぞわりと背中を這い上がる不快感と思わず眉根を寄せる嫌悪感に、彼は舌打ちした。
 彼女の撒く“呪い”だ。
 持っていた刀を蠅でも追い払うかのように動かし、霧散させる。
 無造作に。いとも簡単に。
「あのさぁ、そうゆうの面倒。うっとおしい」
 いい加減にしろ、と暗に言うと彼女はきゅと目つきを鋭くした。ねっとりと誘うかのように巻きつく彼女の“呪い”を、刀護はいとも簡単に斬って捨てる。
「俺にあんたの過去は必要ない」
 浮かんだ女は彼女自身。彼女に何が起こり何があって何をしてどうしてこうなったのか。彼女の泣き叫ぶ声こそが、“呪い”となる。
 が、刀護にはただの声。
 演目のように流される物語は眠くならない方がおかしいだろ、と刀護は一蹴する。自分にはその手のものは効かない。
 同情でも引こうというのか哀れだと思われようとしているのか。
 どのみち、刀護には迷惑この上ない。
 そんな自分の過去の悲観に酔ってる間にできることあるだろ、とにべもなく。
 過去など過ぎ去ってしまったことで意味などない。
「つか、他人の過去を背負える程人間出来てねぇから」
 自分の過去すら満足に昇華していないのに他人のまで無理な話だ。
「あんたの無念なんて知らねーよ。わかんねぇ」
 過去に何があったのか、彼女がどうしてこうなったのか、おおよそのことは分かった。だが、それがどうしたというのか。そうか辛かったのか大変だったのか、それならば仕方がないとでも言えば良いのか。
 ただの同情じゃねぇか、と刀護は吐き捨てる。
 くだらないことに駆り出されたものだ、と。
 捨てられ一人で生きることを余儀なくされ、裏切られ貶められやっとみつけた小さな幸せすら壊され辱められ長く続く苦痛の中で生かされ……どうにか自らの死をもって苦 痛から解かれたとしても。
 彼女はまだ、ここから逃れられずにもがいて怨念だけを残している。
 呪うことで過去を塗り替えようとしている。
 だがそれは、まっとうな道ではない。
 自分と同じように苦しめばいい。どん底をはいつくばり死ぬほどの苦痛を味わえばいい。そうして笑ってやればよかったのだ。どこまでも堕ちつくし全てを暗く閉じるくらいに。
 それでも彼女の中に僅かに残る理性のかけらが、彼女自身を開放できていない。
 その為に、彼女は呪いながらも苦痛を得るのだ。“呪い”は、彼女自身をも取り込んでしまっている。
 刀護にはそういう葛藤が、意味がないものとしか思えない。
 だから、彼は笑う。笑って、告げる。
「苦しいなら救ってやる。――つっても、救いじゃねぇが」
 右腕に力が入り、刀を握りなおす。だらりと下がっていたままの腕が水平に上がりきらりと切っ先が光った。
「全て斬り裂いて粉々にして、目に見えないくらい細かくして何もかもなくしてやるよ。塵一つ残さず、完璧に消してやる」
 どうだ、と刀護はひたりと瞳を彼女に向ける。
「悪い取引じゃねぇだろ」
 刀の錆となって消えろ、と彼は言う。彼女の過去も今も全てを消去してやると。
 やっと刀を構えた刀護は、空気を震わす彼女の言葉におもしろくなさそうに顔をしかめた。
「俺が何を手に入れるかって?」
 彼女を消去する見返りに、と。
 得も何もないだろうにそうすることの理由を問われ、刀護は相変わらず面倒なこと考えるなと思った。そんなことを聞いてどうするというのか。
 はん、と彼は鼻を鳴らす。
「――さあな。悲しみか痛みか憎悪かわかんねぇ」
 取引としちゃ最低だな、と一人ごちる。実際得をすることなど何もない。意味もない。だた彼の手の中にあるのがその為の刀だというだけだ。
「この刀の導くまま、俺はある」
 それだけだ、と。
 右手で握る刀に、左手を添える。ゆら、と刃が熱を持つ。
「逃げやしねーよ。逃げられやしないんだ。刃に魅入られたが最期、奴の思うがままに……生かされる」
 ゆら、ゆら、と刃が熱くなってゆく。
 忌々しい、と刀護は唇を噛む。
 彼女は悲鳴を上げる。声を限りにぶつけてくる。消滅させられることへの恐怖と、安らぎとは程遠い苦痛と、何より刀を恐れて。
「ごちゃごちゃうるせぇよ。お前が招いた結果だろ。逃げられんだったら俺だってそうしたいぜ」
 勘弁してくれよ、と。
 刀護は彼女へと照準を合わせた。
 この距離で、討ちもらすことは、ない。
「こいつは終わりを導く刃だ。終わらせることができる。全部」
 すべてを。
 存在そのものを。
 一切を。
 熱を帯びた刀はいつしか刀護をも包むかのように赤く光り始める。紅蓮の朱(あか)。
「全てと引き換えに……安息を望みなっ」
 歯切れよく命令口調で叫ぶと、刀護は躊躇なく刃を振り下ろした。

 

 風を斬る音。
 空気を真っ二つにする音。
 たったのひと振りで、彼女の姿はかき消えた。
 勢いの余った風が刀護の脇を通り過ぎる。
 着物が翻り、短い髪が踊るように舞い、やがて落ちた。
 砕けたのは、残骸。
 その残骸すらも風に乗って静かに散ってゆく。
 瞬きひとつの間に、見えなくなった。
 刀護は刀をぶん、と一閃させてから鞘へと刃を収めた。カチ、と音がしてからやっと彼はたまっていた気を吐き出した。
「……」
 頬に手をやらなくても、わかる。
 左目から零れおちてくるものが、何かなど。
 流れ出た涙が一筋頬を伝った。
「はー、ったく、なんだよコレ」
 いつものことだが、慣れることはない。勝手に出てくる涙に心などない筈。悲しくもないのに斬れば左目から涙は出る。当たり前すぎて、もう、拭うこともしない。
 気が抜けたように座り込み、刀護は大きな欠伸をした。
 ――涙など、欠伸をしたって出るものを。
 とんとん、と刀で軽く地面を叩く。
「……お疲れ~、俺」

 

(初出:2009.8.13)

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